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オペラ「ヘンゼルとグレーテル」

オペラ「ヘンゼルとグレーテル」
E.フンパーディング:作曲
A.ヴェッテ:脚本

Opera, 2013

ティアラこうとう大ホール

2013.7.27 Sat.

演出:舘亜里沙
指揮:髙井優希
出演:菅原瞳(グレーテル)
   川口真貴子(ヘンゼル)
   森谷健太郎(魔女)
   赤木克行(ペーター)
   池端歩(ゲルトルート)
   小林知(眠りの精)
   牧田潤子(露の精)
   大山結子、北澤理恵、野村秀樹、祭美和、宮崎裕海、吉田駿太郎(助演)
音楽監督:西條恵
美術:豊永恭子(映像:森すみれ)
衣装:改原真理子
演出協力:ペーター・コンヴィチュニー
デザイン:二ノ宮知子
共催:公共財団法人江東区コミュニティ財団
ティアラこうとう
   株式会社Sawa Promotion Office
制作協力:株式会社二期会21
漫画のだめカンタービレ作者「二ノ宮知子」×演出界の鬼才「P.コンヴィチュニー」演出協力

ヴォルフ=フェラーリ

※雑誌「Hanna」2013年7月号 掲載

オペラと漫画のコラボレーション!
漫画家二ノ宮知子がイラスト・衣装デザインを手掛け、世界的な演出家P.コンヴィチュニーが演出協力公演!

一見ファンタジックな場面と美しい音楽の下に、これほど現実の人間社会の問題を潜ませたオペラ作品は、この作品を除いてそうはないだろうと思う。

ある社会の歯車がうまく噛み合っていないとき、どうしてもその犠牲になるのは子供達だ。
それを示すべく、今回の演出では、ヘンゼルとグレーテルを狭い鳥籠の中の小鳥に見立てたり、第2幕後の間奏曲で羽の片方もげた小鳥達≒子供達を出したりと、随所に鳥や羽根といったモチーフを用いている。
ヘンゼルとグレーテルの両親は、自分達の世界を取り巻く「お金」のシステムに不安を感じ、翻弄されている。(中略)

魔女はそうした大人達の負の側面の集積体だ。
さっきは甘い声で相手を騙そうと目論んだと思えば、今度は暴力に任せて相手を支配しようとする。
魔女にとって子供は最も自分の下に取り込みやすい対象だ。
こうして取り込んだ子供達をこき使い、魔女はカマドの中で何かを一生懸命生産している。
大人達の世界で一番の効力を持つ、だがもはや自分達では収拾のつかないほど膨大で不安定な存在となった文明の利器ーー「お金」を!
ここで私達が頭に置いておかなければならないのは、魔女もまたその前に生きた大人達あるいは大人達の社会によって作られた犠牲者の1人に過ぎないということだ。
そして彼女は最期、自ら産み出したカマドのお金の渦へと呑み込まれてゆく…。(中略)

もし2人の成長が、2人の父親や母親と同じ次元まででよいのであれば、このオペラ作品は、「魔女の退治」でエンディングとなっているはずだ。
でもこの作品には最期に「ヘンゼルとグレーテルが、お菓子の家に閉じ込められていた子供達を、彼らに触れることで救い出す。」という場面が残っている。
魔女の住処に体現されるようなお金のシステムに酔った世界で、私達が忘れかけていたものーーそれを取りに行こうと決心したとき、ヘンゼルとグレーテルは、そして2人に続く子供達は、美しい鳥のごとく羽ばたくことが出来るのだ。

演出:館亜里沙
《オペラ「ヘンゼルとグレーテル」パンフレットより抜粋》

北とぴあ国際音楽祭2012関連公演 オペラ『バスティアンとバスティエンヌ』

北とぴあ国際音楽祭2012関連公演 オペラ『バスティアンとバスティエンヌ』

Opera, 2012

北とぴあつつじホール

2012.10.26 Fri. - 10.27 Sat

指揮:沖澤 のどか
演出:舘 亜里沙
出演:福田 智香(バスティエンヌ)
   森谷 健太郎(バスティアン)
   赤木 克行(コラ)
ピアノ:高橋 達馬
助演:大山結子、宮崎裕海、牧田潤子ほか
舞台衣装:改原真理子
舞台監督:柳澤佐和子
演出助手:井澤友香理
広告美術:YOKO ABE DESIGN
協力:Sawa Promotion Offce
スペシャルサンクス:区民ボランティアの皆様

ヴォルフ=フェラーリ

《バスティアンとバスティエンヌ》のラストでコラが次のような歌詞を歌います。

「ご覧。嵐と雨の後には、美しい日の光が運ばれるのだ。」

まさにこの言葉こそ、このオペラの性質を大いに語っているのではないでしょうか。
物語の前半では、コラが各々の若者の言い分を聴き、助言を与える様相が微笑ましく描かれています。
しかし物語の後半、バスティアンとバスティエンヌが直接対面すると、2人のやりとりは非常にシリアスな方向へと展開してゆきます。
バスティアンヌはそれまでバスティアンに直接ぶつけることのなかった悔しさや悲しみを露にします。
バスティアンもまた、それまで知ることのなかった寂しさや孤独感に気付きます。
こうして、それまで互いの中で眠っていた人間らしい感情が爆発したとき、それらは逆に2人を結ぶための大きな力として働いたのです。
実際、モーツァルトの音楽はこのことをよく体現しています。
後半、特にだい14番、15番になると、それまでの曲にはなかったような鋭い響きやくぐもった響きが随所に現れるようになり、音楽はドラマチックな方向に進みます。
やがてそれは16番、すなわちコラが先ほど紹介した詩を歌い上げる爽快な音楽へと到達するのです。
今回はこのようなバスティアンとバスティエンヌによるドラマの流れを、効果的に視覚化するために、舞台上ではずっと雨が降っているという想定で演出をつけました。
人々が傘を手に群がる、どこか閉鎖的な世界。
そんな世界に日の光が射し、虹がかかってゆく様をお楽しみいただければ幸いです。

演出:館亜里沙
《北とぴあ国際音楽祭2012 バスティアンとバスティエンヌ パンフレットより抜粋》

『うさぎのヒ害について』

『うさぎのヒ害について』

Performance, 2012

男女共同参画センター横浜

2012.9.29 Sat.

脚本・演出:北澤理恵
出演:宮崎裕海(学者)
   大山結子、新井陽子、新井春花、梶文乃、
   本谷真里、金児百合佳(うさぎたち)
   北澤理恵、祭美和、石原夏実
   (チアダンサーうさぎ)
   松尾昌尚(うさぎに追われる男)
映像撮影:阿部淳平
写真撮影:服部希代野

うさぎ組

本作は、これまでうさぎ組が取り組んできた、ゲリラ的に観客に「叩いてもいいですか?」と聞いた上でピコピコハンマーを使って殴るパフォーマンスの、テロ行為としてのショッキングさ、ある意味でのえげつなさを助長するために、「ショー」という形式を模倣して演出したものである。

元来、ハレの舞台であるショーは、観客が切符を求め、時間に合わせて劇場に向い、事前にお手洗いを済ませ、ふかふかの椅子に腰掛けた、つまり「心の準備が万全」な状態で始まるものである。
舞台で行われることは、日常を遥かに超えたハデさ、にぎやかさ、明るさに満ちた見せ物であり、だがしかし見せ物である以上、客席と舞台には分断が起き、観客はまるで自分とは無関係の、一時の夢を観たような気持ちで、劇場のドアを開けるとすぐに日常生活に無事に「帰還」できるようになっている。
それこそが、健全なショーであるとされているが、このショーという装置は、心の準備をさせていない観客、そして日常という場所に前触れもなく放り込むと、一時の夢どころか、「大事故」となって人々の心にひっかき傷を残すこととなる。
抱えているエネルギーがあまりにも大きすぎるため、ショーは日常に存在することを良しとされていない。

しかし、だからこそ私はこのショーというものに無限の可能性を感じる。
それまで切符を買い求めて「お客様気分」で舞台を眺めているだけでよかった観客は、予期せぬタイミングに顕われた非日常にうろたえ、狼狽するだろう。
そして嵐のようなショーが去り、静けさを取り戻した日常に、観客は反芻する。 「あれは、なんだったのだろう。」と。
それは、劇場のドア一枚で切り替えられるものではなく、純然たる衝撃として、心に残り続ける。

明るく、楽しく、ケバいショーであればあるほど、本作は「動物実験」という闇深いテーマと共にその陰惨さが観客の心に広がり続けるような演出となっている。
(脚本・演出:北澤理恵)

私達は、化粧品のための不要な動物実験をなくすための活動をしています。
活動資金は皆様からのカンパです。
応援してください。

 銀行名:みずほ銀行
 支店名:上野毛支店
 口座種類:普通預金
 口座番号:175570
 口座名:ウサギグミ

イプセン、グリーグ『ペール・ギュント』による音楽劇『サーバ/周辺/世界』

イプセン、グリーグ『ペール・ギュント』による音楽劇『サーバ/周辺/世界』

音楽劇, 2012

東京藝術大学泰楽堂(大学構内)

2012.3.31 Sat.

脚本・演出:館亜里沙
指揮:高井優希
企画:館亜里沙・杉本喜洋・大海奈緒子
出演:田中俊太郎(ペール)
   林眞美(ソルヴェイグ)
   大山結子(オーセ)
   北澤理恵(イングリ)
   梶田真未、田中美音、福田智香(三人の女)
   脇園彩(アニトラ)
   ほか
主催:東京藝術大学演奏藝術センター
   東京藝術大学音楽学部

協賛:スタインウェイ・ジャパン株式会社

イプセン、グリーグ『ペール・ギュント』による音楽劇『サーバ/周辺/世界』

《ペール・ギュント》の登場人物は、まるでそれぞれが役柄の仮面をかぶって舞台上を移動する人形のように、感情移入や多層的な性格解釈を要求しない。
なぜソルヴェイはペール・ギュントにそこまで固執するのか?
ある意味、陳腐なまでに様式化された母オーセの死の場面の悲劇性の余韻に身を任すひまもなく、なぜペールはまたもや故郷をあとにするのか?
そして何よりも、ペールはなぜドヴレ王国のトロルたちの「おのれ自らに満足あれ」という言葉を、モットーのごとく、熟考もせずに受け入れてしまうのか?
このような疑問の数々がまるで無意味であるかのように、《ペール・ギュント》の登場人物たちはその寓話的画一性を持つ性格付けから抜け出すことはない。
ペールは思慮に欠けた、その場その場で決断を下す浅はかな男、ソルヴェイはペールを救わんとする、良妻型の女性、といったように、彼らは「ペールという」「ソルヴェイという」役割をもったキャラクターとしてそれ以上の精緻で複雑な性格付けを前提として否定し、その言動はそこから生まれ出るかもしれぬ微妙な意味作用をも、よせつけないかのようである。
ウンベルト・エーコはポスト・モダニズムを巡る有名なエッセイ(『薔薇の名前』の「あとがき」、ただし邦訳では、本編とは独立して訳出・出版されている)の中で、現代の作者が常に感じざるをえない過去(伝統)の「脅威」をめぐって、地震が辿りついたあるひとつの「解決策」(=ポスト・モダン的戦略)について述べている。
エーコいわく、現代に生きる我々が「それは11月のある美しい朝のことだった」という使い古された一文を、あたかも「スヌーピーになった気分」に陥らずに書くのは不可能であるが、一方で、同じ文をセリフとして―つまり引用、として括弧付きで―本文中の人物に、本文の枠組みにおいて語らせることは出来るのではないか。

つまり。
陳腐なまでに様式化させたセリフも、最も典型的なキリスト教道徳本から抜け出たような放蕩男とその遍歴の数々も、そこに内包される繰り返し―歴史性―を認識する作業の前提として「括弧」をつけることにより、新たな可能性を呈することができるのではないか、というわけである。
そんなエーコの言葉に照らし合わせてみると、放蕩者のペールを「ペール」として、誘惑者トロルを「トロル」として、口うるさくも息子の幸せを願うオーセを「オーセ」として極度に典型化し描き上げる《ペール・ギュント》は「欲望のままに地震を満たすことを希求するばかりに、最終的には身を滅ぼす男」の系譜を知っている現代の我々をまるで意識して書かれたような、その意味で反動的な解釈をもおのずから希求する、「反ロマン主義的」作品であると言えよう。
我々はペールを前に、「ペール」という人物の中に描出されている利己主義の帰結点のみならず、そのような「ペール」という人物を通して道徳的メッセージが発せられることを望んだ当時の時代精神も、いやそればかりか、その道徳的メッセージを「我々の現代」に置き換えた時なにが起り得るのかをも、考察の対象にしなければばらないのである。

福中冬子 東京藝術大学音楽学部(楽理科)准教授
《イプセン、グリーグ『ペール・ギュント』による音楽劇『サーバ/周辺/世界』パンフレットより抜粋》

『うさぎ組戦記』The folktale of Usagi ranger
『うさぎ組戦記』The folktale of Usagi ranger

『うさぎ組戦記』
The folktale of Usagi ranger

Performance, Installation,2011

Hidari Zingaro

2011.12.1 Thu. - 12.6 Tue

出演
大山結子(うさぎ組組長)
本谷真理
北澤理恵
新井春花
メイク:
寺島さと子
鈴木有香
渡邊陽子

"petit"GEISAI#15 Point Ranking GEISAI受賞者展 Hidari Zingaro

『うさぎ組戦記』The folktale of Usagi ranger

数々の戦いをくぐり抜けてきた、うさぎ組のうさぎレンジャー達の活躍が、村上隆さんのGEISAIで認められ、ギャラリーでの展示権を得ました。
ここで私達うさぎは、今までの戦闘の過程で産まれた様々なうさぎグッズの販売を行います。
会場にはテーブルとイスとお飲物も用意して、お客様とうさぎさんが語らい、ふれあう場ともなっております。
つまりこの作品は「お客様も巻き込むインスタレーション」なのです。
売り上げの半分は動物愛護団体に寄付されます。

【うさぎ組とは?】
未就学児から後期高齢者までを組員に含む芸術家NGO。
犠牲の象徴でもあるウサギをシンボルとしたことから「うさぎ組」となっているが、対象はヒト・消費者を含む「不要な犠牲を伴う動物実験の利権構造」である。
「組長」(代表)である大山結子が、様々なアートスペースにうさぎさんを派遣しながら、継続的に「化粧品類のための動物実験の撲滅」をうったえる作品を発表している。

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